【フォーゴットン・アン】「もう一つの結末」#12

【フォーゴットン・アン】「もう一つの結末」#12 をぜひ最後までお見逃しなく。


https://youtu.be/iOrvgsiydFw


今回はもう一つの結末、水晶化せずにイーサに帰る結末を見ました。

こちらのほうが場合によってはハッピーエンドかと思いきや・・・



まさかのループエンドでしたね。

これはどういうことでしょうか。


アンが人間として生まれて、まだ赤ちゃんと呼べる頃に母に捨てられました。

川に流されて流れ着いた先がなぜかモノがあふれるこの世界。

そこにいたボンク師に拾われて育てられたわけです。


物心ついたときからボンク師がいたわけで、親代わりというか

もう親そのものですよね。


しかし現在のアンはどうやらフォゴットリングだと言います。

フォゴットリング=モノ、というわけではないのかもしれませんが

純粋な人間とも呼べないような??


もし人間じゃなくて人形だったとしたら・・・

どこかのタイミングでアンはもう亡くなっており、

ボンク師が人形としてよみがえらせたという線が濃厚です。

優秀な時計技師ならアルカさえあればそんなことも可能だったかもしれません。


亡くなったのは小さいころかもしれないし、大きくなってからかもしれません。

ボンク師のそばを離れて一人暮らしをし始めてからずっと会っていない。

そんな話があった気がするのでもしかしたらそのタイミングなのかも。


いや、もっと前の赤ちゃんの時、川に流された時点で亡くなっていたのでは?

やはりあれは三途の川をイメージさせますし、

「その10」でアンが船で寝ながら流されてたシーンが

まさにここのメタファーになっていました。

それで言うとこの世界はまさに「黄泉の国」ですよね。


なんていろんなことを考えてしまいます。

まあ「フォゴットリング」というのが「忘れられたモノ」ということならば

モノは「物」でもあり「者」でもあるわけで、

人間でも忘れられた者はフォゴットリングと呼ぶんだよ。

というのが正解な気がしますけどね^^;

そもそもボンク師も忘れられた人でしたし…


どちらにしても、アンが現実、つまりイーサにいたのは

赤ちゃんだったころだけです。

ならばイーサに帰るとするならその瞬間に帰ることになる。

そういうことなのでしょうか?


そういえば正確には「イーサに帰る」ではなく「イーサに還る」という表記が

最初から気にはなっていたのです。

一般的に、

帰る・・・元の(自分の)居場所に戻ること

還る・・・元の状態に戻ること

を意味します。(簡単に言うと)


学校や仕事から家に帰るときは、家に還るとは言いません。

でも自然に還る、祖国に還るときはこちらの漢字を使ったりします。

私個人のイメージで言うと「還る」ほうは「死のイメージ」がありますね。

(ホームベースに還ってくる、などの使い方もあります)


イーサに帰るといえばただ帰宅するイメージですけど、

イーサに還るとなると、大げさに言うと転生して帰るのか??とまで思ってしまいます。

なのでループエンドもあながちおかしくはないな、と。


そう、つまりアンは

「黄泉の国」から転生してイーサに還ってきた。

これがループエンドの意味じゃないだろうか?と私は思いました。

(結局すぐさま母に捨てられることになるのは皮肉ですね・・・)


まあ様々な解釈があると思いますし、

そもそも公式の見解もあるかもしれませんので

私の考えは全くの見当違いの可能性もありますが

皆さんはどうお考えになりましたでしょうか。


川からボンク師がアンを拾い上げた時、

目覚めようとしたところで暗転。

物語冒頭のアンが目覚めるところに、というシーンや、

小舟で寝ながら流されていたシーンでのアンの寝方は

まるっきり物語冒頭のアンが寝ているのと同じ形だったことは

意味があると思いますね・・・


まあ勝手な想像はここまでにして。

以上を持ちましてフォーゴットン・アンの実況は終わります。

今までお付き合いくださった方、ありがとうございました!

今後もメトロイドヴァニア系やアクションRPGなどを多くプレイするとは思いますが

たまにはこういうタイプのゲームも楽しみたいと思っています^^

よろしければお楽しみに。ノクタン!


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